立憲主義の破壊に反対する国民安保法制懇

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9月29日報告書の概要です。

国民安保法制懇「集団的自衛権行使を容認する閣議決定の撤回を求める」の概要

平成26年9月29日 国民安保法制懇

2014年7月1日の閣議決定で、安倍政権は憲法9条に関する政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認へと大きく踏み出した。我々は以下の理由から、本閣議決定の撤回を求めるものである。

政府はこれまで、条文上は実力の行使を全面的に否定しているかに見える憲法9条について、日本を防衛するための必要最小限度の実力の保持・行使を禁ずるものではないとの立場をとってきたが、個別的自衛権のみを認めるこの立場は、自衛権行使に関する政府の判断を明確かつ客観的に枠付ける指針として十分かつ的確に機能しうるものであった。

他方、他国への攻撃に日本が実力で対処する集団的自衛権の行使は、憲法9条の存在と両立しえない。集団的自衛権の行使を認めない政府解釈は、無用な国際紛争に巻き込まれることを防ぐという点で、日本の中長期的な国益に適ったものであった。この解釈は、国会等での審議を通じて練り上げられた国民的熟議の成果であり、政府が国会答弁において、集団的自衛権行使容認のためには、憲法改正が必要であるとしてきたのもそのためである。

本閣議決定は、憲法9条の存在意義を失わせるだけではなく、憲法によって政治権力を制約するという立憲主義を覆すものである。特定の政権の判断で憲法解釈を自由に変更しうるとの前例を開くことは、これまで積み上げられた政府の憲法解釈を根底的に不安定化させる。安倍首相は国会等の場で、自衛隊がイラク戦争のような戦争に参加することはない、徴兵制を導入することはない等と述べているが、これも、現在の政権による現時点での判断に過ぎず、将来の政権をも拘束しうる憲法解釈ではない。

内閣法制局の憲法解釈は、政府・与党の党派的見解から独立した客観的妥当性を有する解釈だからこそ、政府の政策の合憲性を担保し、正当化する役割を果たしてきた。しかし、内閣法制局が本閣議決定に加担することは、憲法の解釈を守る「番人」としての役割を自ら放棄することを意味する。よって、内閣法制局が自らの職責を果たすためには、今回の解釈変更の誤りを認め、従前の解釈へと回帰するべきである。

本閣議決定は、従来の政府見解との連続性を装うため、集団的自衛権行使を違憲とする1972年10月14日の政府見解の論理を借用しつつ、国際情勢・安全保障環境の変化によって、集団的自衛権行使の部分的容認を正当化する。しかし、この無体な論法を押し通した結果、閣議決定は、意図も帰結も曖昧模糊としており、いかなる変更がなされたかも不明瞭である。

武力行使の新3要件は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白は危険がある場合」には、武力行使が容認されるとするが、日本に対する直接の急迫・不正の侵害という従来の要件と異なり、この要件は明確で客観的な歯止めを提供するものではない。

本閣議決定の論拠として、「積極的平和主義」という奇怪な概念が提唱されているが、これは結局のところ、日本政府が「正しい」と考える事態を実現するため、地理的限定なしに実力を行使するという、猛々しく危うい立場と見分けがつかない。「積極的平和主義」に基づく憲法解釈の変更は、立憲主義に対する攻撃であるのみならず、憲法9条の平和主義を変質させ、否定するものである。

集団的自衛権の行使容認は、アメリカとの同盟関係を強化し、抑止力を高めると言われることもある。しかし、憲法上の制約ではなく、政府の政策判断を理由として軍事協力を断れば、同盟関係はより深く傷つく。アメリカは、自国と異なる政治体制の転覆の機会に遭遇した際、国際法上の諸原則を遵守するとは限らない国家である。「テロとの戦い」を遂行するアメリカとの軍事協力の強化によって、日本もグローバルに展開するテロ組織の標的になる危険がある。外交・防衛問題に関しては、曖昧でセンチメンタルな「友情」論ではなく、冷徹に国益を見極める判断力が求められる。

以上の理由から、我々は、本閣議決定の撤回を強く求めるものである。

 

 

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